命(ぬち)どぅ宝

10月30日土曜日、小学6年生の末っ子の最後の学習発表会でした。今日のタイトルは、その6年生の演目の劇の題名です。「命こそ宝物」を沖縄の言葉で表した題名です。末っ子の通う小学校は、学習発表会(昔でいう学芸会)の演目が、1学年で一つです。しかし現在この小学校は、1学年の人数はほぼ4クラスで、6年生は143人も。(ほかの学年も似た様な人数です)その人数で全員が役割を持って1つの演目をやるので、例年ですと「総合劇」と銘打って、お芝居をするグループと、器楽担当・ダンス担当の様に、3つ位にパートに分かれて1つの物を作る…という感じなのですが、今回は、全員がセリフを持った「役者」になる劇でした。脚本は、この143人のために学年の先生が書き下ろした「創作」。「沖縄戦」に題材をとった作品です。物語は、6年生の子供たちが札幌市内にある「藻岩山」にロープウェーで登ってハイキングをしようとやってきたのですが、ロープウェー駅と山頂施設の工事のためにロープウェーに乗ることができなくて、(これは、現在の事実です)仕方なく歩いて行ったところに、ある建造物を見つけるところから始まります。その屋根の所には、「シーサー」がいる…その建造物とは、沖縄戦で命を落とした北海道民の戦没者の「沖縄戦英霊記念の碑」。(これは実際に藻岩山のふもとにあるものです)なぜ、この記念碑がここにあるのか…。先の太平洋戦争の末期、沖縄本島に連合軍が上陸して始まった沖縄戦では、約19万人の日本人が亡くなったといわれており、その約半数が沖縄の住民。そして残る半数の兵士としての犠牲者のうち、2万8千人が沖縄出身者、6万6千人が沖縄県以外出身者。その6万6千人のうち1万5千人が北海道出身者…実に6人に一人が北海道出身者だった。「それはどうしてか?」~~子供が使っていた、ボロボロになった脚本を見ると、最初のページに  「その謎を知りたいと思ったことが脚本を書いた理由の一つだった」と先生は書いています。劇中では、この太平洋戦争の歴史の事を、「歴女」と呼ばれる女の子が語ります。(なかなかウマイ作りです)子供たちはその慰霊碑の戦没者名簿に、自分と同姓同名の人の名前を見つけ、さわいでいる。そこに現れた、「沖縄戦の生き残りだ」と話すおじいさんに、子供たちが、「どうして北海道の人が、沖縄での戦争で1万人以上もなくなっているのか?」と聞く。「本当に知りたいのなら教えてやろう」と念を押したところでいきなり強い光と爆発音がして、子供たちは「タイムスリップ」男の子たちは、昭和18年の満州へ。極秘訓練のために旭川第7師団から連れてこられた兵士の一員に。そして軍事演習と、農地の開拓の作業そこから、戦備強化のためにと指令が下り、満州から沖縄へ~~~~女の子たちは、沖縄で看護隊の訓練を受ける女学校の生徒に。そしてみんな沖縄戦の渦中へと…その戦いの中の野戦病院で、一旦離れ離れにタイムスリップした子供たちが再会したところで、戦局の悪化を理由に、いきなりその野戦病院が閉鎖、解散を言い渡され、「君たちは軍と何も関係がなくなったので、各自家に帰りなさい」と言われ彷徨が始まる。そして、逃げまどった人たちが隠れている壕に、「戦争が終わったから出てきなさい」と告げに来た連合軍兵士。しかし濠から出ていくことはせずに「日本人として恥ずかしくないように、自決するしかない」という連隊長。そこで、「え、ちょっと待って」という現代からタイムスリップした子供たち。「いのちって大切なものなんじゃないの?」避難民が、「そう、沖縄の言葉で、ぬちどぅ宝というんだよ」~~~~その時、誰もいない(出てこない)濠の一斉に攻撃が始まり爆発が起きた瞬間!!!~~~タイムスリップして、子供たちはおじいさんと話していた元の場所へ。ずっと子供たちに話していた、というおじいさんに、自分たちに残っているリアルな感触を不思議に思いながら、この記念碑の前で行われる慰霊祭が今年で最後で、記念碑が取り壊される、沖縄戦を伝える記念碑が、関係者がいなくなることで守っていけないから無くなっていく…という話を聞く。(これも事実です)おじいさんは、「どんな状況にあろうと残されたものが2度と悲劇を繰り返さないために、事実を語り継いでいかなくてはならない、自分はもう長くはないから、あとは実際に沖縄戦を体験した(少年である)君たちに任せる。」と言って去ってゆく。おじいさんを追いかけたが、いなくなってしまった後、少年たちは、戦没者名簿にさっきまであった自分と同姓同名の人の名前がなくなっているのを見つける。過去からタイムスリップして戻ってきた自分たちは、実は爆発のおかげで過去からタイムスリップできた65年前の人間だったんだ…自分たちは現代に生きる沖縄戦を伝える新しい語り部なんだ…(という結末)そして最後に、全員が舞台に上がって「HEIWAの鐘」の合唱…1時間以上にわたる長い長い劇でした。重たい内容でした。最後のみんなの二部合唱の透き通るハーモニーのきれいさに、ぐっときました。戦場で起きる様々な場面での、そこにいる人になりきってセリフを言うこと…軍事訓練をすること、休む暇もなく開拓のために作業すること、防空壕の中にぎゅうぎゅうづめで入ること、勤労奉仕、歩けない人を置き去りにしていかねばならない命令、野戦病院で「お母さん」と言いながら死んでいく兵士、攻撃するということ、自決するということ、たくさんの死体の中に自分がいること。たとえ劇とは言え、それを自分の言葉として言い、動くことのリアルさ。教科書の数ページの中でもない、テレビや映画の映像の中でもない、言葉と、人間と人間の触れ合いの、生々しい感触。子供たちが、劇をするという体験のものすごさを、私は初めて、まざまざと感じた気がしました。すごい、「学習」発表会でした。末っ子君本人の希望で、今回はビデオ撮影のみ。画像はないので、代わりに、藻岩山にある「沖縄戦英霊記念の碑」の画像を
画像はお借りしました読んでいただきありがとうございます  ブログランキングに参加中クリックして頂けると、とてもうれしいデス。
バナーが押せない方はこちらから人気ブログランキングへできれば、拍手も…ヨロシクオネガイシマス

Mille Co Co

家づくり・住まいづくりのコンシェルジュ 〜オーガナイズ(片付け)&ストレージ(収納)の相談から、家づくりのトータルサポートまで〜

0コメント

  • 1000 / 1000